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14日目:2000年2月22日(火) くもりのち雨
主な移動経路:サンフランシスコ〜東へ進む
宿泊地:グレイハウンド(車中泊)


#とにかく東へ進め

早く起きれたら、モントレーに行こうかと思ったけど、8:30だったのであっさりと止めることにした。

もう1日サンフランシスコに居てもいい気がしたけれど、東に進みたがるわたしがいた。サンフランシスコはすごく好きだけど。

いや。「進みたい」というのはもしかしたら違うかもしれない。

寝心地はよくないけれど、わたしはきっとグレイハウンドが恋しくなっていたのだと思う。たった3日乗ってないだけなのに。

サンフランシスコのターミナルはいい。綺麗で小さい。けれど混んでいない。ぎりぎりまで並んだりしない。他のところでは席取合戦なのに。少しだけ優雅な気分にさせてくれる。

はて、これからどこに行こうか。リノも考えたけど、またカジノで負けるのは人に言われなくてもわかっている。サクラメントにすることにした。理由はとくにはない。12:00出発のバスがあったので乗せてもらった。所要時間は2時間。

サクラメントの街に降り立つと雨が出迎えてくれた。荷物をロッカーに放りこみ、身軽になった体で散策することにした。

シトシト・・・
雨のせいか人もまばら

何か食べたいな、という腹具合になった頃、"DOWNTOWN PLAZA"を発見。プラザがあったらフードコートもあるだろう、と思ったら案の定!チャイニーズで食べながらゲットした街のガイドらしきものを読んでみる。フムフム、どうやらサンアントニオの見所は中心部に集中しているらしい。

雨が強くなってきた。少し歩いただけでジーンズの裾がグッショリ濡れる程だ。人は皆無。それでも人を探して何か訊こうとも思ったけれど、どうせ時間もそうないことだし(この街に泊まろうとは思わなかった)好きに歩いてみることにした。

すると"Fargo Cargo(?) History Museum"という建物に遭遇した。お兄さんは 「チケット?そんなものないよ。FREEだよ!」と言ってくれたのでせっかくだし見学させてもらうことにした。

ノッポなビルだけど、見学できるのは1階だけの模様。でも、貨物のことや、ゴールドラッシュの時代の運送の仕方について展示していた。学校で勉強していたことについてだったので、容易に理解ができた。

この街にはどうやらMUSEUMが割とあるらしい。

車の博物館!これはおもしろそうだわい、と思いおじさんに尋ねると、「多分5時までだと思うよ。」との返事。時計を見ると4時半。おじさんは親切に地図で道を教えてくれた。でもこっちのほう通った方が近そうに見えるよ?パンフレットには6時 までと書いているし。

ジーンズも靴もびちょびちょになりながら、テクテクと歩いていった。
・・・おじさんの話を素直に聞いていればよかった。ようやくたどり着いたとき、おばちゃんに一言。

「ごめんね、5時までなのよ。土曜日ならFREEよ。」

いや、もう今日サクラメント去るし。大ショック・・・ショボーン(凹)。時計は5時10分を指していた。何しに来たんだか・・・

トボトボと帰りながら、来るときに見つけていたとある場所で立ち止まった。キョロキョロ・・・うむ、誰も居ない。よし、やっちゃうかー!!

やってもーた
スタンド・バイ・ミー キター!

良い子はマネしちゃいけません。早々に撤退です。あーでも、ずっと前からやりたかったから気が済んだ(笑)。

あっきーに電話をするのをすっかり忘れていたのであわてて電話をしておいた(あと家にも)。

ディーポのベンチに座っているとやたら大声で電話をしたり、ビンボウゆすりをして、とにかく落ちつかない男が隣にやってきた。男が話しかけてきた。「出身はどこだ?」

ためらうことなく「中国人だ」と言った。すると男は暇つぶしに読んでいた地球の歩き方をチラリと見ながら「ホントか」と訊いてきた。「そうだよ。」

「これからどこに行くんだ?」
"Salt Lake City(ソルトレイクシティ)"と答えた。すると男は「は?!」と言った。

やばいなぁ。と思った。

わたしは"L"の発音が苦手だ。わたしの知るアメリカ人は意外と"R"より"L"の発音に厳しい人が多い。もう一度言ったけど通じない。なので地図を見せた。「ああ、ソルトレイクシティと言ってたのか。「何年スピーキングやっているんだ?」

うちの学校、ほとんどスピーキングないしな・・・と思いつつ「3年くらい」というと、「おまえ3年もやってて、”ソルトレイクシティ”が言えないのか?!」と言われた。

ムカッ!!そりゃ、そうだけど、そこまではっきり言ってくれるなよ!凹むよ、さすがのわたしも(;∀;)。いっそうのことこの男の言うこと聞き取れない位、英語ができなければしょぼくれなくてよかったのにと本気で思った。あんたは単に自分の母国語しゃべってるだけじゃん。あっかんべーだ。

男は、ギャンブルが好きでこれからRENOに行くだとか、女の話だとか、1人で延々としゃべっていた。あんたの話なんか誰が聞いてやるか。大人気ないわたしでごめん。

ソルトレイクシティ行きのバス出発は1時間も遅れ、さらに途中のRENO着は2時間も遅れた。普通サクラメントーリノ間は2時間程。なので5時間もかかったことになる。それは、シェラネバダ山脈の大雪のせいだった。バスが暗闇の中を何度も何度も止まる。運転手が外に出ていく。何かをしてるみたいだけど、アナウンスも何もないからわからない。少し進むとまたバスが止まる。

「この天気のせいで・・・オー!ジーサス」

運転手さんのその言葉だけは聞こえた。トイレをどうにもこうにも我慢できなくて、ついにバスのトイレを使用。ほっ!意外なほど、匂いはひどくなかった。みんなも頻繁に利用していたし。さすがに5時間トイレ休憩がないと(辛)。

夜9時頃出発したバスは一体何時にソルトレイクシティに着くのだろう。辺りも、そしてフロントガラスも見たことないくらいの雪で覆われていた。


11日目:2000年2月23日(水) くもりときどき雨
主な移動経路:〜ソルトレイクシティ〜東へ
宿泊地:グレイハウンド(車中泊)

#ユタ州・ソルトレイクシティにちょっと立ち寄る

斜め前の人はかなり大きかった(俗に太っているという)。

肘掛が贅肉にくいこむくらいの太さだ。
見てるほうが痛々しかったけど、本人はそうでもないらしくグウグウ寝ていた。いらぬ心配か。でも、先に座っていた隣の人はやっぱりたまらなかったらしく、わたしの横へ来て、「あいつに席譲るから、君のとなりにきてもいいかな?」と言われ、わたしは快くOKした。

わたしの隣におとこの人がきたのでその太っちょの人は2席を1人で使えるはずなのに(というか太い上に荷物も持っていたからどう見ても隣に誰かが座るのは無理がある)、今度乗りこんできた片足の不自由な人に

「俺の隣に座りなよ」と声をかけていた。親切心からなのだろうが・・・

絶対無理やって!座れないって!

と思っていたら隣に座っていた男の人も同じに思ったらしく、やりとりを見て「オー!ジーサス!」とつぶやいていた。女の人はお礼を言って座ろうとしたが、やっぱり不可能であった。あの人はわからなかったのだろうか。・・・自分の太さ具合が!

やっぱりグレイハウンドはもう少し座席を広くしたほうが多くのアメリカ国民にとってよいかと思うのですがどうでしょう。 小生意気な日本人からの提案です。はい。

そんなこんながあり、バスはそのまま3時間遅れで到着した。雪がひどかったのはリノあたりだけだったらしく、ソルトレイクシティ周辺は全く大丈夫。結局お昼の1:25にソルトレイクシティ着。

ソルトレイクシティに来たのは、友達から「アメリカ!!っていうようなお土産買って来て」とのリクエストがあって、ガイドに「アメリカ!というようなお土産が見つかるお店」としてオリンピックグッズを売ってるお店がこの街にあると紹介されてたからだ。まんまじゃないか!

ま、もしツアーやってたらグレートソルトレイクにも行ってみたいと思っていたし。ここに泊まってもいいし・・・と思っていたが、ツアーはやはりこの時期なさそうである。

・・・忘れました
何でしたでしょうか

なんちゃらテンプルというところに行ってみるけど、この類にはとんと興味がないので・・・いまいちピンとこなかった。2002年のオリンピックがある街、という割には落ちついてるというか(まだ2000年だし)街自体には何にもなかった、というのが率直な感想。

サンアントニオのようにいいな!って思うものは短い時間の間に見つけることはできなかった。ユタ州の郊外にある数多くの国立公園と夏のグレートソルトレイクの「塩」は見てみたい!でもソルトレイクシティ自体には・・・住むにはすごくいい街のように感じたけれど。

40分くらいかけて歩いていったお店には、わたしから見て「アメリカー!」というようなシロモノはなかった。嗚呼残念。でも確かにオリンピックグッズはあった。長野オリンピックとソルトレイクシティオリンピックという文字が入ったバッジを見つけた。気に入ったので購入。

ユラユラ
星条旗、好きです

テクテク。星条旗とオリンピックの旗がユラユラなびいているのを見ると、ここは間違いなくオリンピックが開かれるところなんだと思った。でもそれだけ。

スーパーでチーズパンとバナナを買いこんで17時ぐらいにディーポに戻った。チーズパンが激マズでがっかり・・・思えば日本のパンって本当においしいよね。アメリカってあんまり食べ物がおいしいとは思わないのだけどこれには本当に大ショックだ。だれが好んでこんなものを食べるんだろう。わたし、あんまり食べ物でまずいと思うものってないんだけどなぁ・・・

ロッカーがいっぱいだったのでディーポの隅っこにほったらかしていたバックパックはちゃんと無事にあった。ベンチに座ってると、隣の人が話しかけて来た。

"Where are you from?(どこから来たの?)"

またか。見るとちょっとうさんくさそうな気がしたので、中国人だと答えた。
そう答えることに何の意味もないような気はするんだけど(笑)。怪しい人間に自分の身元をサラサラと明かしたくないというのが本音かな。

でも、そのとき、「日本人だ」と言わなかったことを、ウソをついたことをものすごく後悔した。なぜなら、JASONはものすごくいい人だったからだ。

ジェイソンはラスベガス出身で、ソルトレイクシティに働きに来て、22:30のバスで地元に帰るところで、ここへ来たのは初めてとのこと。

ジェイソンは自分の国(アメリカ)は嫌いらしい。どうして、と驚いてと訊くと一言、"RUDE(無作法な、野蛮な、とかいう意味)"と言った。だけど、ハワイは大好きでよくサーフィンをすのだそうだ。

「じゃ、ラスベガスは?地元のラスベガス好き?」
「俺、たばこ嫌いなんだ。ベガスの人はみんな吸うからイヤだ。」
「たばこも安いよね。カリフォルニアとかに比べて。」
「そうそう、だからみんな吸うんだ」
「じゃ、ジェイソン、カリフォルニア州に住めばいいのに(笑)」
「うん、そうなんだけどね〜」

何て言いながら談笑。

そして恐怖の時間が来てしまった。中国に関する質問ターイム!!(;∀;)

「チャイナではみんなたばこ吸うの?」
「う〜ん、吸う人もいるけど、あんまり多くないかな」

「チャイナではみんな車持ってるの?アメリカ人はみんな車ラブなんだけど。」
「えっと、車よりチャリンコかな。みんなチャリンコラブだよ!(先入観かも)」
「あはは、俺もそうだと思ったよ!(笑)」・・・ホッ。

「チャイナでは離婚はよくあることなの?」
「う〜ん、1回結婚したらほとんど離婚はしないよ (ほんまかいな)」

アメリカじゃ、1回や2回の離婚は普通なのだそうだ。ジェイソンもバツ1。「なんでそんなに離婚するの?」と訊くとこんな答えが返ってきた。

「みんな早く結婚し過ぎるんだよ。だいたい大学卒業したらみんな結婚するからさ。早くし過ぎて早く別れちゃう。そういうことさ。」

「じゃ、ジェイソンもまた新しい恋見つけるのに、離婚したの?」と訊くとそうそう、と言って笑っていた。幸いなことにジェイソンはそれ以上わたしが困るような質問や、中国語教えてよと言うことはなく心の底から安堵した(;∀;)。

「うんうん、ジャパニーズはもっと、こう、目が細いもんね。」と指をコメカミのところに当ててキツネ目をして見せた。わたしは日本人だよーん、と何度喉のところまででかかったかわからない。

ごめんね、ジェイソン。わたしは大うそつきです。日本で中国人に間違えられたことあるけど、おとうさんとおかあさんは純・日本人です。

ジェイソンは"Salt Lake City"の発音を繰り返し教えてくれた。「でもいちばん初めの発音でも"Salt Lake City"ってわかったよ。そいつ、いじわるなやつだなぁ」と言ってくれた。ジェイソン、ありがとう。ちなみにわたし、「アトランタ」も苦手(;∀;)。

ジェイソンはわたしを外に連れだし、「あそこにね、記念碑があって、あそこでチケットが買えるようになるよ。」などいろいろ教えてくれた(そういう仕事らしい)。出発の19時まで2時間も話をした。ジェイソンとはもっと話がしたかった。でも話をすればするほど、わたしは嘘をつくことにもなるのだろう・・・

ソルトレイクシティまで来たらなんとなく次はデンバーって気がした。だからデンバーに行くことにした。ジェイソンにさよならをした。ありがとう、楽しかったよ!

16日目:2000年2月24日(木) はれ
主な移動経路:〜デンバー〜
宿泊地:グレイハウンド(車中泊)

やっと快晴!やったー!

初めのドライバーはすごく面白くっていい人だったのに、途中から変ったドライバーは最悪。2月のこのクソ寒いときにバスの冷房はガンガン。「寒い」って言ったら「なんで座ってないんだ」と怒るだけで弱めてくれなかった(怒)。逆ギレしやがって。むかつく野郎だ。

どうして2月で冷房で半袖なんよ、ありえんし(特に白人)。絶対おかしいよ(;∀;)。ちなみに長袖3枚着ててもかなり寒かったわたし・・・途中、雪がいっぱい降ってるところを通って、”6”だったよ、温度。これ”6”の右上に○があったから華氏だと思う。だったらマイナスだよ。本当に死ぬかと思った。

バスに乗ってる途中で目が覚めたら本と帽子がなくなっていることに気がついた。どこだろう。くまなく探すけどない。デンバーに着いて一旦バスを降りて荷物の中を見る。やっぱりない。みんなが降りた後のバスに戻って探す。やっぱりない。・・・あきらめて降りようとしたとき、バスのフロントガラスのちょっと物置のところに、わたしの帽子と本がおいてあった。あった!拾ってくれた人、どうもありがとう。

「ああ、キミのだったのか」運転手は言った。そうだよぉだ。あんたなんか嫌いだ。あっかんべーだ。ずっと一緒に居たものが無くなると寂しいから、見つかって本当によかった。

朝の6:40にデンバーに到着。

次の目的地、ラピッドシティへの出発の時間は夜の便は9:45らしかった。それでいいだろう、うむ。

ディーポには日本語を話すおじいさんがいて、ガイドやら地図やらいろいろくれた。やっぱりツアーはないらしい。「あるのはダウンタウンをまわるやつだけだね」ここでツアーがないんやったらもしかしてラピッドシティもやばい?わたしってばようやく気がつき始めたらしい。

マクドを見つけたので朝のブリトーセットをモグモグ。セットがちょうど3ドル。1ドル台のもあった。マクドって朝こんなに安かったのか。マクド万歳(普段はほとんど食べないけど朝のセットは野菜がいっぱい挟まっていて◎)。

地図を見ながら、どこに行こうかなぁ・・・お、動物園がある。

ガイドには書いてなかったのに、これは発見。まだアメリカの造幣局は行ったことなかったので、造幣局、州議事堂の3Fからみる景色が綺麗ってことなのでそこと、あと動物園に行くことに決定、決定、大決定。

外に出ると人がゾロゾロと急増!それでも依然清潔な街という雰囲気は保っているのはさすがビジネスシティ。パリッ!とした空気は何とも気持ちがいい。それにしても今日は暖かい(16℃)。寒いと思って毛糸の帽子ひっぱりだしたのにな。暑いよー頭。ムレちゃう。

造幣局は荷物検査を通過した後、約20分の無料ツアーに参加した。お金なのに、まるでパチンコの玉のようにジャラジャラでてきて。こんなにどんどこ造っていいのだろうか。古いのを回収して綺麗なの造ってるのだろうけれど。量がハンパない。

爽快(・∀・)
いやー最高!

それから州議事堂へ移動。
建物の前で写真を撮ってるカメラマンの人がいた。少し話をして、動物園までのバスの乗り方をきいてみたけど、普段バスは全く使わないからわからないと言った。「でも、なかなかの大きさだし、すごくいいから、ぜひ行ってね」と彼は言ってくれた。

中へ入るとツアーが始まったらしくゾロゾロ人が階段を登っていた。どうもこれに参加しないと3Fまで上がれそうになかったので、こっそりついて行くことにした。これがまたダルかった。

40分くらいだっただろうか。途中まではよかったけれど、会議等が開かれる場所へ連れて行かれて座って、そこで質問タイムがあったけれど。本当に、「ごめんよ、でも質問もう1つ」を繰り返しながら1人で質問しまくってた人。いるよね、こういう人って・・・。何度出ていこうかと思ったことかわからない。。専門用語多くてよくわからないし。途中で出ていくのはあまりに失礼かと思って我慢したけど本当に疲れた。


そのときは何とも思わなかったけど
意外といいじゃん

長い時間我慢した後、やっとの思いで上がった3階も大したことなかったし(;∀;)。後から写真を見ると綺麗に撮れてたけどね。登るだけ登ってさっさと降りた。

さて、動物園に行こう、と思ったけど地図ではわかりにくく、どこからバスに乗ればいいのかわからなくてウロチョロしているとバスがやってきた。

「このバスって動物園に行きますか」

「このバスは行かないけど、とりあえず乗って途中で動物園行くバスに乗り換えたらいいよ」と言ってくれた。バスの料金は75セント。安いなぁ。コロラドという通りで「ここだよ。道路渡ったところにバス見えるだろ。あれに乗りな」と親切に教えてくれた。ありがとう。

バスを乗り換えて動物園の近くで降りた。そこから歩いて10分くらい。ゲートの側にバス停があったので、直接ここまでくるバスも確かにあるのだろう。

で、結論から言うと、デンバー動物園最高!

入園料6ドル。
まずよかったのがラクダ!(←わたしの審査の基準)普通1種類しかいないのに、ヒトコブラクダフタコブラクダ両方いたのである(凸)。やっぱり仲が悪いのか生態が違うからか、ちゃんと分けられていたけれど。2種類の違いについてもしっかり説明をしてくれていたのがさらに◎。

わたしはヒトコブラブ♪ モサモサもよいけどね
ヒトコブ フタコブ

ヒトコブラクダ:コブ1つ。生息地は主にエジプトや中東の方で、毛は短く、主に砂漠で活躍。暑い所に強い。

フタコブラクダ:コブ2つ。生息地は主に、モンゴルあたりのゴビ砂漠。毛は長くて寒いところに強い。

そういうことらしかった。そう言われてみればそうだけど、ラクダって砂漠の暑いところでポクポク歩いている気がするよね。こういう比較してくれるのはとてもわかりやすくて◎。

あと、白オオカミも居たし、MANDRILL:マンドリルに会えたのはうれしかったです(笑)。いやーあなた派手っすね。


お面みたいやね
興奮するとさらに派手になるらし
きっと天狗もびっくり(推測)

サンディエゴ動物園より、こういう昔ながらの動物園がわたしは好き。

園外に出て歩いてると、芝生が一面に広がってる所を見つけた。冬だから茶色だったけど。その芝生の物足りなさと、そっけない乾き具合がたまらない。

ゴロンと寝転がって高い高い空を見上げるとどこまでだって好きなところに行けそうな気がした。

どこに行こう。

全ての決定権はわたしにある。小さなわたしの世界。けれど、わたしの思い描くように旅ができる。そんなことがたまらなく嬉しかった。


わたしの世界だー

ダウンタウンに戻り、ごはんを食べてから、野茂がドジャーズ時代、ノーヒットノーランをしたというロッキーズの本拠地・クアーズフィールドへ行ってみた。ダウンタウンから近くて歩いてすぐに行ける。大リーグの球場見たのは初めてだ。外からしか見れなかったけど、カッコよかった。日本にこんな造りの球場ないよね。それにしてもこんなダウンタウンにあるなんて驚き。場外HRが心配なわたしでした。

大リーグみたいな
外にいても歓声で楽しめそう

デンバーのターミナルはかなり広い。

ゲートにはどこ行き、と、ちゃんと表示してくているのでわかりやすい。N.Y.やシカゴ行きが出発するときは有りえない人口密度。でもそれ以外は閑散としていて、一気に寒くなる。

もう1度カウンターへ確認に行くと10:30だと言われた。2回乗換えがあるらしく、でも、その乗りかえる街の名前は聞いたこともない名前だったので、紙に書いてもらいついでに時間も書いてもらった。親切なおねえさんでよかった。

10:30頃、車掌さんがゲートの扉を開け、ようやくバスに乗れることになった。わたしは2番目に並んでいたから別に影響はなかったけど、みんなちゃんとターミナル内で待っていたのに、外にいた6人ぐらいのガキが列に割り込んでいた。

17、8くらいの男子と女子。おいおい!誰も注意もしない、文句も言わないの?

車掌さんが一言言った。 「ちゃんと並べ」

彼等はブツブツ文句いいながら後ろにまわったものの、やっぱり列に割りこんでいた。乗り込んでからも、ギャーギャーうるさいし、ジュースのビン捨てに行くのが面倒くさかったらしく、バスの入り口のところにおきっぱなしにしたり(←捨てに行けよ、ぉぃ!)。 はっきり言ってこんなクソガキがわたしは大嫌いである。バスは10分遅れくらいで出発した。早くあのガキと別れたいよ。出発してまもなく、バスはすぐグレイハウンドに戻った。

え、何で?!

車掌さんは何も言わず、バスを降りた。扉は自動的に閉まった。一番前に座っていたので車掌さんが外に出て、誰かにすごい勢いで何かを言ってるのが見えた。一体どうしたというのだ?

乗客が騒ぎ始めた。

「あのドライバーへたくそなんだよな」「最悪」「なんかブレーキの調子がおかしいみたいだったわ」松葉杖をついた40歳くらいのおんなの人が叫んだ。「わたし、外へ降りたいの!降ろしなさいよ!」高校生くらいの娘さんもいたけど、娘さんはおとなしい人でお母さんの後ろをついて回っていた。

グレイハウンドの従業員が外を通る。「早く!扉を開けなさいよ!」でも従業員は言う。「俺はこのバスのドライバーじゃない。ドライバーが戻ってくるまで待ってろ」

後ろのちっちゃい子供がわたしの髪の毛をひっぱる。ん?!と思って見るとめちゃめちゃかわいい(から許す)。「このこが何かしたらちゃんとわたしに言ってね。バス?何か調子が悪いみたいだわね」 と、お母さん。

いろんな人がとっかえひっかえ運転席にやってくる。ここがそーじゃないか。いや、違う、とアーダコーダいいながらクラクションは鳴らしまくるし、ボタンは押しまくるし。ガキじゃあるまいし、そんなことしなさんな!すると、プシュ〜と音がしてバスの扉が開いた。開いたとたん歓声がわきあがった。みんなそんなに外に出たいのか?!

ドライバーが戻ってきた。そこからが嵐だった。

乗客が言う。「なんで説明もなしに、行ってしまうんだ」「扉を開かないようにして、俺たちを閉じ込めて、子供扱いするな」「わたしたちには知る権利があるはずよ。そうでしょ?」

ドライバーはドライバーで「もし、僕が居ない間に銃を持ってるやつが乗ってきたらどうする?誰が責任を取る?君たちの命をだれが守る?ただ乗りするやつがいたらどうする?これはグレイハウンドの方針だ。なにも間違ってはいない。」

あっけに取られた。何をこんなにもめているんだ?

結局は説明をしないで、いなくなったりして悪かったとグレイハウンド側が謝った。バスはブレーキの調子が悪かったらしく新しいバスにわたしたちは乗り換え、1時間遅れで出発した。運転手は同じ人が勤めた。あんなにバトルを繰り広げていたのに、運転手がジョークを飛ばすと乗客は笑い、雰囲気はまるで悪くない。

日本で同じことが起こったら、誰も外に出ようとはしなかっただろうし、誰もクラクションを鳴らしたりはしなかっただろう。きっとみんな、おとなしく、おしゃべりでもしながら運転手が帰ってくるのを待っていただろう。

現にわたしも、いつか戻ってくるだろう、と思っていたからだ。乗客が怒るのは解らないわけではないけど、別にそこまで熱くならなくても、と1番前の席で客観的に見ていたのであった。わたしがおかしいのか。鈍感なのか。

バスはとにかくCHEYENNEという全く読めなかった、”シャイアン”という街へ向かうらしかった。ガキは相変わらずうるさかった。こっちのほうを怒ってくれよ、って感じ。もうみんな寝てるだろ。

そう思ったのはわたしがニホンで育ったからなのか?


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